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やっと観てきました。オリジナルの香港版「インファナル・アフェア-無間道」観てたから、公開前から注目してたんです。で、端的に言うと、香港版とこれとは別物で、比べられないと思いましたが。良くも悪くも「マーティン・スコセッシ節」全開。設定やイベント、屋上でのドラマからエレベーターのどんでん返し、細かい所では、組織壊滅後に警察のオフィスでラウに当たる役のマット・デイモンが祝辞と共にマグカップを渡されるシーンにいたるまで、みな、香港版と同じなんだけど、それでも、これは「インファナル・アフェア」とは別の映画だなぁ、と、思い続けながら観ていました。
ハリウッド版リメイクの話が出始めたときに、お友達と、オリジナル版の二人の年齢を考慮して、トニー・レオンの役(ヤン)はケビン・ベーコン、アンディ・ラウ(ラウ)はショーン・ペンとかいいんじゃないか、ってお話したことがあります。で、ついでに、監督はクリント・イーストウッドで、最後に一瞬目立つラウ(ハリウッド版のサリバン)の部下にティム・ロス・・・って、それは「ミスティック・リバー」だ。で、いっそウォン警部はモーガン・フリーマンで決まりだ!おーし、オスカー間違いなしだぞ!(をいをい) 見に行く前に、関連記事を読み漁りましたから、3部作をまとめたようなストーリーだとか、主役はニコルソンとか、ボストンが舞台なのに、ニコルソンがボストン・レッドソックスの野球帽を拒否して、Yankeesのを被ってるとか、ヒロインはカウンセラーとサリバン(ラウ)の恋人が同一人物になってるとか…前知識十分で挑みました。だから、失望は少ないはずだ・・・ったんだけどね。 大筋は、ボストンを仕切るアイルランド系マフィアのボス、コステロ(ニコルソン)が、国家の軍事機密につながるチップを中国に売払おうとしていた。それを阻止すべく、スカウトされたのは、マフィアの息子という背景を持つコスティガン(ディカプリオ)。一方、子供の頃からコステロに目をかけられ、警察学校卒業後は着々とエリートへの道を歩みながら、実はコステロに通じているサリバン(デイモン)。共に正体を隠して潜入した二人が、互いの正体を暴くため、死闘を尽くすというもの。 香港版では三部作だったのを、二時間半に凝縮しちゃったんだから、人間関係が単純化されて、警部(アメリカのお茶の間では、すっかり大統領として定着のマーティン・シーン)と、コスティガンの絆とか、コステロの愛人グエンとサリバンには接点無くて、グエンはひたすら脇役とか、ラスト10分は話を畳み込みすぎとか、なにか物足りない気がします。香港版では、拷問に耐えた後殺される警部だけど、ハリウッド版じゃ、いきなり降ってきたぜ、ベイビー、って、感じだ。「無間道」だけでも、よく出来てるんだから、ここだけのリメイクにしても良かったんじゃないかな? でも、なにより香港版に比べて、底が薄いと感じたのは、ヤンとラウの背負うものの重さの違いだと思う。10年もの、おとり捜査に疲れたトニー・レオンのくたびれたやさぐれっぷりに漂う色気や、虚偽の上にキャリアを重ねたエリートのふてぶてしさを持つアンディ・ラウの貫禄は、ディカプリオとデイモンには望めないし、デイモンのサリバン出世早すぎだとか、ディカプリオのコスティガン普通に疑わしいだろ、とか、ストーリー的にも苦しい。ニコルソンのコステロも、香港版のサムに比べると、狡猾さより狂気ばかりが目に付いて、チンピラっぽい。 楽しく演じてるのね~vという感じが、観客に伝わってくるニコルソン御大のノリノリ演技は別格としても、対するレオナルド・ディカプリオも、いい演技をしていたと思います。また毎度の、ずっと眉間に皺寄せて悩んでるだけかと思いきや、焦燥感、死への恐れ、弱さ、怒り等、うまく表現していたと思います。でも、かつてのチャーミングさは、どこへ行ったの?って気も。演技の上手さは、「ギルバート・グレイプ」でも光っていましたが、「タイタニック」や「ロミオ+ジュリエット」で見せた魅力は、トシと共に消えうせ、サリバンの恋人でもあるカウンセラーをよろめかせる説得力に欠ける。ところで、このカウンセラーさん、せっかく豪華俳優陣を揃えたんだから、もうちょっと華のある女優さんを雇ってほしかった。 マット・デイモンは、毎度おなじみマット・デイモン的役柄。この人の演じる役は、ワンパターンだね。サリバン(ラウ)じゃなくて、コスティガン(ヤン)役だったら、新境地が開けたかもしれない。サリバン州議事堂の黄金のドームが窓から見える、ビーコンヒル(ボストンの高級住宅地)にあるサリバンのアパート、警部のタウンハウスより高そう。新米刑事がこんな立派な部屋を変えるはずなさそうだし、これが、サリバンがコステロに報酬もらってるって事の説明になるのかな? 一方、ディカプリオのサリバン(ラウ)は、底の知れない掴み所の無さや、さりげない切れ者ぶりを垣間見せたら、これまた面白かったかも。 ともあれ、「無限道」のヤンとラウが、電気屋さんで会うシーン、あそこだけは、デイモンとディカプリオでも観たかったな、と、思う私でありました。この分だと、スコセッシ、またクリント爺さんに、オスカーもっていかれるんじゃないかなぁ・・・?! #
by hyperwani
| 2006-11-04 12:02
| ぽかーん
世界同時公開ならぬ同時後悔、なんて散々な前評判のこの作品、ワタクシも観て参りました。公開初日金曜日の、朝11時という、暇人にしか赦されぬ時間帯でしたが、40人くらい入ってました。流石は話題作。観客層は、定年後のお年寄りカップル、大学生っぽい若者、それに私のような子供が学校に行ってる間に、って感じの奥さんがた。
主役のラングドン教授は、私が本で描いたイメージでは、20歳若いハリソン・フォードか、10歳年取ったマット・デイモンだったので、トム・ハンクスってとこで、既にずっこけです。監督がロン・ハワードというのも、何かが違う、とっても違う!という気が・・・ それでもお金払って見に行ったのは、やっぱ原作が面白かったし、舞台となったルーブルや、古い教会を見てみたいという、挿絵的な興味かしら? ヒロインのソフィーは、原作イメージでは「Xファイル」のジリアン・アンダーソンでしたが、「アメリ」とは、ガラッと印象の違うオウドリィ・トトゥ、とても良かったと思いました。英語話すときのフランス語訛りがチャーミング。しかし、一昼夜、公園だの街中などを走り回った後に、磨きたてのような黒いハイヒールは非現実過ぎ。 刺客サイラスのポール・ベタニーも、信念に獲り付かれた殺人鬼だけではなく、深い哀しみを背負った悲劇的な人間としてのサイラスを演じきっていたとは思いますが、僧衣を脱いだトコで「また、お尻出してるし~」と、笑っちゃった。ベタニーさん、ごめんね。 リー役のサー・マッケランの演技は良かったけど、この人、最近出過ぎで、つい「お!ガンドルフだ、マグネトーだ!」と茶々入れしたくなっちゃう。他の役の印象が強すぎという点で、トム・ハンクスも同様なのですが。どうも、この役でのハンクスには、ソフィーが魅かれるほどの、魅力が感じられませんでした。まず、象徴学の教授として講演をしているときの声・・・私は、先生は声が大事だと思うのです。この点で、考古学の講義を、インディアナ・ジョーンズ教授の声で語られると、うっとりし過去の世界に引き込まれそうですが、ハンクスの声は、そんな深みと豊かさに欠けてるんだな。「トイ・ストーリー」のウディーには、ぴったりなんだけど! 変な髪形と、ややタプリ気味の顎のせいか、イマイチ風貌も冴えない。ラングドン教授には、もっと精悍な雰囲気の人が良かったと思うの。演技も、トム・ハンクスとしては、一流(トム・ハンクス自身のレベルで)とは言いがたかったと思います。私、ハンクスは魅力的で、演技も上手な、良い役者さんだと思うけど、この作品に関しては外れだったな、と。ジャン・レノに至っては、深みを出す機会も無し、って感じで、いきなり掌返すおっさん。ああ無駄だ。 しかし、悪評判の一番の元凶は、撮影だと思うな。カンヌでは始まって直ぐに失笑が漏れてたと読んだけど、発端となったルーブルの死体…死体の形状が大切なので、観客に見せないわけにはいかないけれど、大事なトコは画面に出せないので仕方ないのだろうけど、ありゃ笑うしかないでしょう。画面がどうも単調だし、おどろおどろしいテンプル教会の雰囲気なんて、まるで出てなくて、あっけらかーん!各教会の違いや、時間の流れを出すべく、せめてライティングにでも工夫してくれりゃ、観客としても判り易いんだけどなぁ。どの教会も同じに見えちゃうのは、単に私がアホなだけ? 脚本は、原作読んでないと「はぁ?」な部分が多いと思います。謎解きの経過も、ぐいぐい引っ張られるほどじゃなかったし、一応悪役であるはずの、キリストの子孫である「聖杯」の存在を抹殺しようとする、司教を始めとする聖職者の描き方が、中途半端。黒幕の「先生」こと、リーの動機も、うやむやのまま・・・ バティカンやキリスト教徒を、なるべく刺激しないようにかなぁ。やっぱ、バチカンなんぼのもんじゃい!と開き直れる監督選んだ方が良かったんじゃないかな、と、エラソーに書く私。 と、まぁ、酷評は仕方ないかもね、とも思うけど、原作を楽しんだ一読者としては、舞台となった場所が見れて良かったな、とv って、結局それだけかいっ!?! #
by hyperwani
| 2006-05-20 13:50
正直、初見では、のめり込め無かったのですが、原因は台詞が聞き取りにくくて、内容が十分掴めなかったから(とほほ…) なので、字幕付DVDでリベンジしました。それに前回は、ストーリーを追うのに一所懸命だったのと、ジャック役のジェイク・ジレンハールは、目元はトビー・マクガイアそっくりで、全体はニコラス・ケイジ似なのに、でもトビー・マクガイアとニコラス・ケイジが似ていないのはなぜだろう、とか、エニスって角度によってハンサムに見えたり、普通に見えたりするんで「男前角度」探しをしてしまったり、息子なら兎も角、普通、娘にジュニアなんて名前付けるかな?とか、下らない事ばかり、みょーに気になっちゃって。
台詞が判って、お話はずっとよく理解できましたが、やっぱり見る前に期待していた程は、のめりこめなかった。思うに原因は、見ている最中に、深読みしきれなかったからではないかと思います。後から映画のことを思い返せば、色々な考えが出てくるのですが、台詞を追うのに必死で、見ながら考えることをしていなかったのかも。 例えば、「受取人死亡」の判子を押されて返ってきた葉書を手に、エニスが公衆電話からかけた電話は、ラリーンによって返答されます。「裏道でタイヤ交換中に、タイヤが爆発して顔を直撃して気を失い、自分の血で窒息死した」というラリーンの言葉の途中で、3人の男に打ちのめされるジャックの姿が映りますが、それは単にエニスの想像なのか、事故死と偽っているが、実はそれが真実なのか…私にはわかりません。そういえば、エニスの心に深いトラウマを埋めつけることになった、老カウボーイ・アールもタイア交換具で殺されたんですよね。実際にワイオミングでは、ほんの数年前に、同性愛者を自称する大学生(大学でも、ゲイ・ライト運動の中心的存在だったらしい)が、バーで会った地元の若者達に惨たらしくリンチ死される事件がありました。同性愛を嫌悪する傾向は、未だ根強いのです。 ところで、ラリーンがエニスを「ジャックがあなたのことをよく話してたわ。釣り仲間だとか、猟仲間(hunting buddies)だとか」って台詞を、初見では「humping buddies」と聞き違えて、ひえーっ、バレてたのねぇ、と思ったのは、我ながら恥ずいっす。 同性愛と目されて、リンチ死にあったアールの死体を、エニスの父は、子供のエニスと兄を連れ、同性愛者がどんな目に遭うかを解らせる為に見に行きましたが、これは怖いと思う。かつてのカウボーイや鉱夫といった、西部の世界は、男ばかりで、男だけで住んでいるのが普通だったはず。当時の写真や、当時の暮らしを描いた絵は、男所帯のむさい生活ぶりが伝わってきます。それでも、エニスが9歳の頃・・・といえば、1950年代には、すっかりそんな風潮は、汚らわしきものと目されていたのでしょうか?これも、マッカーシズムのせいなのかなぁ? 私は、かつてテキサス、今はコロラドに住んでいますが、ここは、以前住んでいた東部に比べると、男同士の「仲良し」っぷりは、実に濃い。テキサスでは、アニメの「キング・オブ・ザ・ヒル」でお馴染の様に、オヤジ達は毎日、仕事から帰ってきては、家の前でビールを飲みながら何時間もお喋り。週末は妻子ほったらかしで釣りや猟は当然(妻は妻で、女同士楽しくやってるのですが)、隣のジェフおじさんは弟と超仲良しで、週末毎にツーリング、ってな具合。ボーイスカウトの類も活発で、カウボーイ精神、未だ健在という感じです。 他にも、後になってから、あのシーンは・・・と、考え込んでしまったことは多いのですが、特に エニスの最後の言葉、「Jack, I swear...」 彼は一体何を「swear」したのでしょうか?深い余韻を残す言葉です。 ワイオミング(ほんとはカナディアン・ロッキーだけど)の雄大な自然が、とても美しい映画でした。暫く時を置いてから、また見たい作品です。しかしね、わたし、ロッキーの麓に住んでるんですよ。ああいう風景って、本当に近くに存在するんですよ。なんかね、見るたびにこの映画を思い出してしまいそうな気がね…いやね、いいんですけどね、別に・・・ あの釣りしてるおじさん達なんか楽しそうだなぁ… #
by hyperwani
| 2006-05-15 03:10
| ほろほろ(TT)
Unrated版を観ました。悪名高き「なんでお前がゲイか教えてやる」の部分が増殖しているのと、主人公の40歳の童貞男アンディーの妄想場面が付加され、一層笑えるはず…だそうで。この部分も含めて、私的には、オマケのカットされたシーンが皆かなり可笑しかった。
きちんと掃除されたアパートに住み、朝ごはんはちゃんと自分で料理し、出勤前には身体も鍛える。ルックスだって悪くないし、仕事も出来るアンディーは誰もが認める「いいヤツ」なのに、過去の失敗がたたって40歳にして、未だ童貞。ついでに酔っ払ったことも無ければ、運転免許も無い。それでも本人は別に苦にするでもなく、お気に入りのフィギュアやゲームに囲まれ、ご近所との関係も良好でそれなりに幸せで平穏な暮らし。 しっかし!それではいかんと、同僚のジェイ、デイブ、カルは次々と役に立たないアドバイスを授けます。でも、クラブでナンパ、胸毛脱毛、5分間お見合いミーティング、金髪美人の本屋の店員…全部撃沈。とうとう3人は、お金を出し合って娼婦を雇いますが、なんとこれがニューハーフさんだったりと、連戦連敗。だけど、アンディー本人としては、彼の勤め先の家電店スマート・テックの向かいに店を構えるトリッシュが気になるのです… トリッシュは3人の子持ちで孫もいるホットなグランマ。トリッシュもアンディーを愛しているのですが、いまさら童貞だなんて言えないよ・・・と、怖気づくアンディーは腰砕けで、折角上手くいっていた関係にもひびが入り始めました。さぁて、アンディーは、勇気を出して無事童貞脱出できるのかなぁ~♪水瓶座の時代~♪ エンディングの妙な爽やかさが笑えます。ジェイ、すっげえエエ身体してはります。 スティーブ・カレルがコーナーを持っていたコメディー・ニュース・ショー(ジョン・スチュワートのDaily Show)では、いつもしかめっ面で逃げられた嫁のことで切れる男のイメージしかなかったので、この映画で全く違う顔で驚きました。でも実際には、こんなにキュートで魅力的な40歳、回りがほっておくとは思えないな。私もお付き合いした~い!(こら、待て) #
by hyperwani
| 2006-03-05 12:18
| げらげら
タイトル通り、assholeが沢山出てくる映画。4つのエピソードが淡々と同時進行し、最後に一つになるのですが、カタルシスは無く、空虚な気持ちが残ります。だから駄作だという訳ではなく、この空虚さと、ひしひしと襲ってくる戦慄…が狙いなのかな?
軸が4つあって、それぞれに中心人物が設定されており、各々に個人や家庭の事情があるのですが、同情はしても感情移入する登場人物が選べず、その分のめり込みにくい感もあります。そんな意味で、脚本の出来はイマイチだと言わざるをえないけど、深い印象を残す映画です。原作がいいのかも(でも読みきる自信ないわ) 「シリアナ」とは、シリア、イラン、イラクが統一した単一民族国家のコードネームで、実在の中東再建コンセプト。アメリカにとっては物凄い脅威になりかねないけど、これを傀儡政権にアメリカが牛耳ることが出来れば・・・石油利権を一掌に握ることも出来そうです。現実世界では、9/11での失態を含め、かつてのスーパースパイ機関のイメージを失ったCIAですが、映画の中では相変わらず勇ましい存在。そんなCIAも、この映画では単なる政治的機関の一つであり、司法省の道具に過ぎません。 かつてワシントンD.C.に住んでいた私としては、DC周辺を舞台にした場面は本当に、DCで撮ったのかなと思えました。実は、「とんでもDC」とか「なんちゃってDC」の映画って多いんですよね。例えば、黒人弁護士ベネットの家、議事堂の裏キャピタルヒル地区は、本当にあんな家ばかりで、実際に弁護士が一杯住んでます。私が住んでた時、同じブロックで弁護士のいない家はウチだけだったほど(笑) 舞台となっている中東の国は、特定されてはいなくとも、男性の真っ白な普段着カフタンや、族長の黒と金の正装、白いスカーフに金の輪っか、王政、海がある、マラガに別荘、等々からサウジアラビアであることは明白。ただし、サウジに住んだことのある、わに夫に言わせると、あれはサウジで撮影したのではないそうで。そこまで露骨にはできないか(^^; 自国の未来を憂うナシール王子、どっかで見た顔だとずーっと気になっていたんだけど、ほらほら、スタートレックDS9のドクターなのねん。マット・デイモン扮するアドバイザーを別室に呼んだ際の「私はジョージタウン大学で博士号を取り、アメリカを、民主主義を、自由世界を見た。私は我が国を変えたい」という言葉に、なんともいえない皮肉が混じります。 クリントン元大統領の母校でもあるジョージタウン大学(GU)は、ワシントン市内にあり、ここの国際関係学部大学院出身者の主な就職先は米国外務省(State Department)やシークレットサービス、FBI,CIAといった政府機関。多くの教授が、定年退職後の政府高官で、大変に司法省に密着した学校なのです。80年代の青春映画「セント・エルモス・ファイヤ」の主人公7人が、GUを卒業したばかりという設定でしたが、うち一人は政治家を目指して着々とキャリア建設中でした。GUは、そんな政治的野心を持った若者の登竜門でもあり、そのGUで教育を受け、感化された王子の考えが、アメリカの利益に反すると叩き潰される…なんたる皮肉! 冒頭、ベネットが訪れる上司の家も、ジョージタウンにあるとキャプションが出ますが、GUのあるジョージタウンはまた、ワシントン内でも屈指の高級住宅地。かのケネディー元大統領夫妻も上議員時代に居を構えていました。メインストリートであるウィスコンシン・アベニューを横に入ると、石畳の両側に小さな古い家が並びますが、この小さな家々は軽~く1億を超えています。この静かな地域は、選ばれた者の住む地域であり、ひっそりとした佇まいのレストランは、実は密やかに国を動かす会話が行われるパワーハウスだったりします。 現政権が石油利権にべったり密着しているのは、アメリカ人の多くが容認している事実。原理主義者に洗脳され、テロリストにされるパキスタン人青年達の純粋さの哀しさ、理想を追って暗殺されるナシール王子一家の悲劇、中東への思い入れゆえに(?)、かつて自分が暗殺に失敗したナシール王子を助けようとして、一緒に吹き飛ばされるボブ・・・ 息子の事故死以来、離婚の危機にあったブライアン(マット・デイモン)は妻と和解し、ベネットはアル中の父を受け入れ家に迎え入れ、ささやかな庶民的幸せは保たれて、少し暖かな余韻は残りますが、一方で今日もイラクで、アフガニスタンで、多くの兵士達が、一般イラク市民が命を奪われています。何の為に・・・? 本当に哀しく、恐ろしい映画だったと思いました。 #
by hyperwani
| 2006-03-01 08:05
| どきどき
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